気候変動による大規模災害の頻発や生物多様性の損失が地球規模の課題となる中、農林水産分野では温暖化対策と生物多様性保全の両面で取組が進んでいます。本記事では、令和6年度食料・農業・農村白書第5章第2節「地球規模で課題となっている気候変動や生物多様性への対応」に沿い、削減目標からJ-クレジット、ネイチャーポジティブまでを整理します。
概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 誰が | 主に農林漁業者、畜産事業者、施設園芸経営者、食品・流通企業。国は農林水産省が、都道府県・研究機関・民間と連携して支援します。 |
| 何を | 温室効果ガスの排出削減・吸収(稲作・畜産・施設・機械)、気候変動適応(高温耐性品種等)、J-クレジット・GX、生物多様性保全(自然共生サイト、水辺ネットワーク等)です。 |
| いつまでに | 2050年ネット・ゼロに向け、2035年度60%・2040年度73%削減(2013年度比)。みどり戦略では2030年に電動草刈機・自動操舵システムの普及率50%を目指します。生物多様性は2030年30by30目標などが設定されています。 |
| いくら | 本節は単一の交付金制度ではなく政策動向の整理です。数値例として、電動草刈機普及率23.7%、J-クレジット登録706件(農業関連47件)、高温耐性水稲作付16.2%(令和6年産)、自然共生サイト328か所などが示されています。 |
地球温暖化対策の推進
政府は令和7(2025)年2月、2050年ネット・ゼロの実現に向け、令和17(2035)年度に平成25(2013)年度比60%、令和22(2040)年度に73%の温室効果ガス削減を目指す地球温暖化対策計画を閣議決定しました。
農林水産省はみどり戦略等に基づき、施設園芸や農業機械の省エネルギー化、バイオ炭の農地施用などを進めています。稲作では中干し期間の延長や秋耕などメタン発生抑制に資する栽培技術の普及と、グリーンな栽培体系への転換支援を行っています。畜産分野では家畜排せつ物管理の見直し、アミノ酸バランス改善飼料の給餌、消化管内発酵抑制資材の普及を進め、J-クレジット制度も活用しています。
農業機械の電化と現場事例
令和5(2023)年の電動草刈機普及率は前年比4.1ポイント上昇の23.7%、自動操舵システムは1.7ポイント上昇の7.8%です。みどり戦略では令和12(2030)年に両者の普及率50%を目指し、電化・水素化等の技術による燃料使用量削減を担い手へ普及します。
青森県つがる市の株式会社小笠原農園は、間伐材由来の「青い森エコ炭」を堆肥に混ぜて水田に活用し、中干し期間の延長や農薬・化学肥料の低減と併せて温室効果ガス削減に取り組んでいます。地域の慣行的栽培と比べ10a当たりの削減貢献率は63.8%で、等級ラベル(みえるらべる)の取得につながりました。
施設園芸と気候変動適応
施設園芸の加温設備は化石燃料依存が大きく、令和5(2023)年の加温面積16,512haのうちハイブリッド型園芸施設等は11.6%です。環境負荷低減と収益性向上を両立した持続可能な施設への転換を推進しています。
気候変動適応では「農林水産省気候変動適応計画」に基づき、高温障害への対応を進めています。水稲の高温耐性品種作付割合は令和6(2024)年産16.2%に上昇。農研機構は「にじのきらめき」(水稲)、「夏もえか」(ネギ)、「紅みのり」「錦秋」(リンゴ)、「グロースクローネ」(ブドウ)などの品種を開発しています。
国際農研はCIMMYT等と共同で、BNI(生物的硝化抑制)強化コムギの開発に世界で初めて成功しました。標準より6割少ない窒素肥料でも従来品種と同等の生産性を示し、窒素肥料由来の水質汚濁・温室効果ガス排出削減が期待できます。令和6(2024)年11月のCOP29では、BNI技術を始めとした緩和技術の普及に関する取組を発信しました。
カーボン・クレジットとJ-クレジット制度
2050年ネット・ゼロの実現に向け、森林・農地・藻場等の吸収・削減取組をJ-クレジット制度で民間投資につなげるグリーントランスフォーメーション(GX)が進んでいます。
J-クレジット制度は経済産業省・環境省・農林水産省の3省が運営し、令和7(2025)年3月末時点で72の方法論が承認されています。農業分野では「水稲栽培における中干し期間の延長」「肉用牛へのバイパスアミノ酸の給餌」等6方法論が対象です。登録プロジェクトは累計706件、うち農業者が取り組むものは再エネ・省エネ分野を含め47件、農業分野の方法論を用いたものは37件です。
令和6(2024)年度には中干し延長22件、バイオ炭農地施用9件などが新たに登録され、令和7(2025)年1月には東京証券取引所のカーボン・クレジット市場に農業の取引区分が新設されました。
鹿児島県は温室効果ガス排出量の約2割が畜産由来(うち約6割が牛由来)であることを踏まえ、令和6(2024)年4月から味の素株式会社、畜産関係団体、鹿児島大学、金融機関等と産学官金の連携協定を締結し、畜産GXを推進しています。
牛用アミノ酸リジン製剤の6か月間試験では全頭平均約9kgの体重増加が確認され、同じ枝肉重量で早期出荷すれば飼養期間を約1か月短縮でき、1頭当たり0.25t程度の温室効果ガス削減が可能です。「肉用牛へのバイパスアミノ酸の給餌」はJ-クレジットの方法論として承認されており、クレジット売却益を畜産農家へ還元する仕組みを目指しています。
令和7(2025)年2月には、ADBと連携したフィリピンにおける間欠かんがい(AWD)による水田メタン削減に関する二国間クレジット制度(JCM)の方法論が正式承認され、農業分野のJCMが始動しました。
生物多様性の保全と利用
農林水産業は気候安定、水の浄化、受粉、土壌形成など生態系サービスに支えられています。令和4(2022)年12月のCOP15で採択された昆明・モントリオール生物多様性枠組には、損失を止めるだけでなく回復に転じるネイチャーポジティブ(自然再興)の考え方が取り入れられました。
農林水産省は「農林水産省生物多様性戦略」を令和5(2023)年3月に改定し、2030年30by30目標(陸と海それぞれ30%以上の保全)などに沿って取組を進めています。
環境省は令和5(2023)年度から民間等の取組区域を国が認定する自然共生サイトを開始しました。令和6(2024)年度までに全国328か所が認定されています。令和6(2024)年4月には企業等による生物多様性増進活動を促進する法律が公布され、計画認定制度や手続のワンストップ化等が整備されます。
長野県上田市のシャトー・メルシャン 椀子ヴィンヤード(キリンホールディングス)は遊休荒廃地をぶどう畑に転換し、下草管理で多様な生態系を育む環境を作り、自然共生サイトに認定されました。昆虫168種、植物288種が確認され、地元小学校との環境教育も行われています。
農林水産省は有機農業や冬期湛水管理など生物多様性保全に効果の高い営農活動を支援するとともに、化学肥料・化学農薬の使用量低減に資する技術の導入を促進しています。
農村の水辺環境では、河川・水田・水路・ため池等を途切れなく結ぶ生態系ネットワークの保全が必要です。農林水産省は農業農村整備事業において生態系に配慮した技術指針を整備し、魚類の産卵場・避難場となるワンド工や水田魚道など、地域住民の理解・参画を得ながら計画的に推進しています。
キーワード解説
みどり戦略
2050年カーボンニュートラルに向けた農林水産分野の総合戦略です。温室効果ガス排出削減・吸収、気候変動適応、生物多様性保全などを一体的に推進します。
中干し期間
水稲栽培期間中、出穂前に一度水田の水を抜いて田面を乾かす作業です。過剰な分げつ防止に加え、稲わら分解によるメタン発生抑制にも資します。J-クレジットの方法論にもなっています。
J-クレジット制度
温室効果ガスの排出削減・吸収量を国がクレジットとして認証し、取引を可能とする制度です。農林漁業者等が削減取組をクレジット化して売却し、収入を得ることができます。
高温耐性品種
高温下でも玄米品質や収量が低下しにくい水稲品種です。都道府県から報告のあった品種が対象となり、主食用作付面積に占める割合が年々上昇しています。
BNI(生物的硝化抑制)
Biological Nitrification Inhibitionの略で、植物自身が根から物質を分泌し、土壌中の硝化を抑制する働きです。BNI強化作物の開発により、少ない窒素肥料での生産が期待されています。
ネイチャーポジティブ
生物多様性の損失を止めるだけでなく、回復に転じる考え方です。昆明・モントリオール生物多様性枠組の2030年ミッションに取り入れられています。
自然共生サイト
環境省が民間等の取組により生物多様性保全が図られている区域として認定する仕組みです。保護地域との重複を除き、OECMとして国際データベースに登録されます。